お金がなくてパニックになりそうなときには、この記事を読んで下さい。心が落ち着いていくはずです。
目次
そもそもお金がなくなることがどうして怖いのか
お金自体はただの紙切れや金属片であり、それ自体に価値があるわけではありません。そんなものがないというだけで、なぜ人は恐怖を感じてしまうのでしょうか。
殆どの人間が最も強く恐れるものは「死ぬこと」です。死ぬのが怖い理由は人それぞれですが、死んだ後どうなるかがわからないから怖い、というのが最も正直なところではないでしょうか。
死ぬことが怖くないと言っている人は、よっぽど達観しているか、あるいはただ単に虚勢を張っているだけかのどちらかと見て間違いないでしょう。
自分で経験したことがない事象については通常、それを経験したことがある他人の経験談を聞いて学ぶのが一番いいのですが、地球上には死んだことがある人間は1人もいないので、人に死んだらどうなるのか聞いてみることもできません。
人間は不確定な未来に対して不安をいだきます。だからこそ人間は科学を発達させ、将来が少しでも予想できるように努力してきたのかもしれません。経済予測も、天気予報も、災害予測も、その一環といえます。
そして、現代社会において、お金がなくなることはすなわち「死」を意味します。お金がないと食べるものも、安全を確保するための家も、手に入れられなくなってしまうからです。だからこそ多くの人は一生懸命働いて、死なないようにつとめているのでしょう。
しかし、現代の日本は社会保障制度がそれなりに発達しているので、お金がなくなったからと言ってすぐに死ぬようなことはありません。
たまに本当に生活保護を必要としているにも関わらず申請が通らず餓死してしまった人がニュースになることもありますが、あれは例外的なケースです。
ニュースというのはそもそも普段起こらない例外的な事象を報道するものです。もしあのような事象が日常茶飯事で起きているのならば、むしろどの局も報道しません。当たり前のことを報道しても視聴率にはつながらないからです。
むろん、社会保障制度に頼って生きていくというのは、かっこいいものではありません。
人間社会というのは助け合いによって成り立っています。何故助け合いが成立するかというと、助け合って生きたほうが、不干渉で生きていくよりもお互いにとって都合がいいからです。
助け合って生きていけば何かあったときには助けてもらえますし、余裕がある時に人を助けて恩を売っておけば将来自分が何かあったときにも助け返してもらえる可能性が高くなります。そうした計算の元、助け合いは成り立っているのです。
社会保障によって助けられているだけの人は、助け合いの土俵には立てていません。助けられているだけで、誰も助けていないからです。
しかし、今の世の中はそうした生き方を認めています(推奨はしていませんが)。せっかく認められているのですから、利用しない手はありません。
一旦社会保障の世話になったけれど、その後再び自立して助ける側に回った人はたくさんいます。
ハリーポッターの作者であるJ・K・ローリング氏は、かつて生活保護と住宅手当をもらって生きていましたが、現在は年収1億2500万ポンド(日本円で約182億円)の超高額所得者で、助けられた分以上に人を助けています。
もちろん、これは極端な例ですが、今はだめでも将来的にまた恩を返せるようにすればいいのです。緊急回避的に社会保障に頼るという選択肢を選ぶのは、恥ずかしいことではありません。いつまでもそれに頼り切って自立心をなくしてしまうのは問題ですが……。
お金がない人ほど借金をしてはいけない
お金がないときに借金をして凌ごうとする人は少なくありませんが、それは最も誤った判断です。借金は一時的な貧乏を凌ぐものではなく、更にお金を増やすためにするものだからです。
法人がお金を借りるのは、お金を増やすためです。金利3%で借金をしたとしても、本業で年利8%の収益を上げれば、差し引き5%のプラスとなります。収益が出れば法人は、さらにそれを増やすために事業を拡大しようとします。
事業の拡大には借金が必要ですが、借金が増えても、事業に成功すれば問題ありません。急速に事業が拡大すれば、借金の金利など問題にならないくらいの利益は出ます。成功する法人は借金を抱えつつ、その金利以上の成長率を達成することによって成長していくのです。
実際、現在日本で大企業と呼ばれる法人の殆どは借金をしています。例えば、トヨタ自動車の現在の有利子負債(利子を付けて返さないといけない借金)の額は約18兆円です。一方、純資産は約12兆円で、資産の内約6割が負債、4割が純資産となっています。
こんなに借金だらけで大丈夫なの?と思われるかもしれませんが、トヨタは19兆円の借金がある一方で、15兆円の金融債権(お金を返して貰う権利)を有しています。つまり、トヨタは大量にお金を借りている一方で、大量にお金を貸してもいるわけです。
加えて、トヨタはここ数年連続で当期純利益2兆円を達成しています。つまり、純資産は増加しているわけです。これならば19兆円借金があっても何の問題もありません。
金融機関もそのことをしっかりと把握しているので、トヨタに対して安心してお金を貸すわけです。トヨタは借金の金利以上に稼ぐ能力がある、ということです。
こうしたお金を増やすための借金はむしろ推奨されるべきことです。借金をして事業を拡大すればそれだけ急速に利益が増えていきます。
個人の場合でも不動産投資は一般的に借金をして始めるべきとされています。そうした収益性の高いことを行っている法人や個人は金融機関にとっても優良顧客なので、金融機関は低い金利を提示してつなぎとめておこうとします。これぞまさに助け合いです。
一方、殆どの個人が借金をするのは大抵の場合浪費や消費のためです。浪費や消費をいくらしてもお金が増えるわけではありません。むしろ減っていきます。こうした目的の借金は単に利息を多く払うだけの、極めて無意味な、いや有害な行為といえます。
金融機関もそのことをわかっているので、最初から高い金利を提示します。優良顧客になりそうもない相手に対して低い金利を提示しても意味が無いことがわかっており、それゆえに最初からふっかけるのです。
その結果個人の顧客が逃げてしまっても、金融機関にとっては大した問題ではありません。それよりも大口の法人の顧客を捕まえるほうが利益になるからです。
生活費のために借金をしても、後々の利息でますます苦しくなるだけです。お金がない人ほど、借金をしてはいけないのです。
働いているのにお金がなくなるのは浪費や消費が多いから
世の中には人並み、あるいは人並み以上に稼いでいるにも関わらず、お金がないが口癖の人がいます。理由は簡単で、稼いだ分を貯蓄や投資に回さず、全て浪費や消費に回してしまっているからです。
今の世の中、贅沢をしようと思えばキリがありません。そして一度ついた贅沢癖は、簡単にはなくなりません。一度上げてしまった生活レベルを下げるのは難しいのです。年収300万円ならば300万円にふさわしい生活を、年収500万円ならば500万円にふさわしい生活を心がけることが大切です。年収300万円のうちから年収500万円の人のライフスタイルを真似しているようでは、すぐに破産します。
いらないものは売ってお金に変えよう
金欠が永続的なものでなく一時的なものである場合は、手元にあるいらないものを売って凌ぐというのも有効です。この際売るべきものは、自分の生活水準にはふさわしくない贅沢品です。
一度ついた贅沢癖を落とすのは簡単ではありませんが、金欠はそれを削ぎ落とすチャンスです。この機会にいらない贅沢品を売り払ってしまい、強引に生活水準を下げてしまうのです。
服やバッグ、貴金属や趣味のグッズ類……これらの贅沢品は別に無くても困りませんし、結構いい値で売れるので一時凌ぎにはぴったりです。後々にどうしても取り戻したい場合は質屋に入れるという手もありますが、取り戻すのは金欠が解消されてからにしましょう。
なお、これらの贅沢品は売り方によって買い取り値が変わってきます。どうせならば価値の分かる業者に高く買ってほしいですよね。買い叩かれないためにも、事前に相場をよく確認して起きましょう。
好きだという理由だけで頑張っても才能がなければお金は得られない
最近目にする機会が多いYoutuberの「好きなことで、生きていく」という広告。非常に魅力的なキャッチコピーではありますが、実際のところ好きなことで生きていけるのはほんの一握りの才能がある人間だけです。
そもそも、その人が仕事を好きかどうかなんてのは、顧客にとっても雇用主にとってもまったくもってどうでもいい話です。顧客が気にするのは品質と価格だけですし、雇用主が気にするのは利益だけです。
好きだけれど苦手なことを頑張っても、いつまでたってもお金は得られません。
好きでなおかつ才能があることを仕事にできればそれに勝る幸せはないのかもしれませんが、そんなことができているのはYoutuberで言えばHIKAKINやはじめしゃちょーといった最上層部に居る人だけでしょう。大抵の人は好きなことと才能があることがズレているものです。
無論、人気Youtuberは才能にただ甘えているだけではありません。人気Youtuberは一見好きなことだけをやっているように見えても、その裏ではきちんと売れ続けるための努力をしています。
表層だけを真似ている底辺Youtuberとは才能も努力の量も質も全く違うのです。だからこそ彼らは人よりもたくさんの稼ぎを得られているわけです。
才能があっても努力をしなければ稼げませんし、逆に努力をしても才能がなければやっぱり稼げません。哀しいことですが、これが現実です。
才能がない人間が努力だけで才能のある人間を倒すのは漫画やドラマの中だけだと割り切り、自分の才能、すなわち出来ることを探すことが、お金を得るためには重要です。
人より優れた部分がなくても出来ることはある
出来ることなんか何もない、という人でも心配する必要はありません。すべての分野で人より劣っている人でも、その中で比較的得意なことを見つけられれば、仕事は回ってきます。
ちょっと難しい話になってしまいますが、経済学には比較優位という考え方があります。比較優位とは2国が自国の得意な財の生産に特化して(分業して)、自由貿易をすると双方ともに得をする、という考え方です。これは2国間ではなく、2人間でも成り立つ法則です。
例えば、Aさんは1日に商談を6つまとめ、企画書を12個書く能力があるとします。一方、Bさんは1日に商談を2つまとめ、企画書を6個書く能力があるとします。
商談に関してはAさんのほうが得意で、企画書に関してもAさんのほうが得意です。このとき、Aさんは商談と企画書の両方に絶対優位を持っているといいます。
これだと両分野で劣るBさんに仕事は全く回ってこないように思えますが、実はそうではないのです。
Aさんが商談も企画書も絶対優位にあると言っても、両方のことはできません。商談をまとめている際中に企画書はかけませんし、企画書を書いている際中に商談はまとめられません。どちらかを選んだら、どちらかを捨てる必要があるのです。
Aさんは1日に商談を6つまとめ、企画書を12個書けます。つまり、商談を1つまとめたい場合は、企画書2個を犠牲にしなければならないわけです。逆に企画書1個を書きたい場合は、商談0.5個を犠牲にする必要があります。
一方、Bさんは1日に商談を2つまとめ、企画書を6個書けます。つまり、商談を1つまとめたい場合は企画書を3個犠牲にしなければなりません。逆に企画書1個を完成書きたい場合は、商談0.33個を犠牲にする必要があります。
商談を1つまとめるのにAさんは企画書2個を犠牲にします。一方、Bさんは企画書3個を犠牲にします。つまり、Aさんのほうが少ない犠牲で商談をまとめられるのです。この時、Aさんは商談について比較優位を持つといいます。
企画書を1つ書くのにAさんは商談0.5個を犠牲にします。一方、Bさんは商談0.33個を犠牲にします。つまり、Bさんのほうが少ない犠牲で企画書を欠けるのです。この時、Bさんは企画書について比較優位を持つといいます。
それぞれが比較優位を持つ仕事に特化することによって、より生産性を上げることができます。これがいわゆる「適材適所」というやつです。
他人と比べていいところが一つもない、つまりは絶対優位が一つもない人でも、比較優位を見つけ出すことができれば、生産性上々に貢献でき、それに見合った稼ぎが得られるというわけです。
もちろん絶対優位を持つ人ほどには稼げないでしょうが、分業の枠組みから放り出されることはありません。
好きなことはお金を払ってやればいい
ここまでさんざん好きなことをやるのを否定するようなことばかり書いてしまいましたが、もちろん才能がないからと言って好きなことを辞める必要はまったくありません。一度きりの人生、好きなことはどんどんやるべきです。ただし、趣味としてお金を払って、です。
趣味に生産性や収益性は必要ありません。同人誌を販売して赤字になろうが、客観的に見ればつまらない自主制作映画を撮影して友達ひんしゅくを買おうが、お財布さえ問題なければどうでもいいことです。
お金がなくても死なないとわかっているだけでも、気持ちはだいぶ楽になる
ここまでお金が無い時の対処法や心構えなどを色々と説明してきましたが、ともかく現代日本ではお金がないという理由だけですぐに死んでしまうことはまずありません。
そのことをわかっているだけでも、気持ちはだいぶ楽になるはずです。