普段われわれが何気なく使っているお金は、資本主義社会を支える最も需要な要素の一つです。このお金の価値がもし突然なくなったとしたら、一体どのような事が起こると思いますか?そもそも、お金の価値がなくなることなどあり得るのでしょうか?
お金にはなぜ価値があるのか
私たちは当たり前のように何かを買う際にはお金を払っていますが、一体なぜみんなお金を出すとものを売ってくれるのか考えたことはありますか?
お金は本来単なる紙や金属片に過ぎません。1万円の原価は20円強で、とても額面通りの価値はありません。しかし、お店に行って1万円を出せば、1万円の価値があるものと交換してもらえます。
一体なぜこのような不思議なシステムが成り立つのでしょうか。理由は簡単で、1万円には1万円分の価値があると、殆どの日本人が思っているからです。
国が信頼されている限り貨幣制度は成り立つ
お金を発行しているのは日本という国です(正確には日本銀行)。この日本という国が信頼されているからこそ、みんな1万円札で1万円分のものを渡してくれるわけです。
もし仮に私が紙に1万円と書いたものをお店に持っていて買い物をしようとしても、おそらく何も買えないでしょう。場合によっては警察を呼ばれるかもしれません。
私には国と違って信頼がなく、私が発行した1万円は他の店では使えないからです。一方、日本には信頼があり、日本が発行した1万円札は他の店でも使えるため、受け取ってもらえます。
逆に考えれば、国の信頼がなく、皆が1万円札に1万円の価値があると信じられなくなったら、貨幣制度は崩壊、そこまでいかずとも大混乱してしまう可能性が高いです。先進国では戦後そのような事態はほとんど起きていませんが、これはとても幸せなことです。
もし一部の人がお金の存在を拒否して共同体を作ったらどうなるか?
ところで、世の中にはお金に対して憎悪を抱いている人もいます。そうした人たちの殆どは文句を言いながらも資本主義社会の中に組み込まれながら行きているわけですが、もし彼らが一念発起して、お金のない物々交換から成り立つ共同体を作ったらどうなるでしょうか?
実際にそのようなことが日本では起こっていないので想像するしかありませんが、おそらくうまくいかないでしょう。そんな共同体に多くの人が集まるとは思えません。
人が十分に集まらなければ、共同体を維持するための組織、例えば警察や軍隊も用意できませんし、医療や教育といったサービスも供給できないでしょう。
そのような共同体が長く維持できるわけはありませんし、彼らもそのことを理解しているので、お金に文句を言いつつもお金を手放そうとはしないのです。
お金と金の交換を政府が保障するとどうなる?
お金(紙幣)と金(ゴールド)を一定の割合で交換することを中央銀行が補償した制度を金本位制と言います。例えば1g=5000円というレートを予め決定しておき、金の貯蔵量に応じて通貨発行量を決める、というものです。
このような制度化では、紙幣の発行量が制限されます。例えば中央銀行が金を100gしか持っていなければ50万円しか発行できませんし、10kg持っていれば5億円発行できます。1tならば5000億円です。
日本では明治時代に金本位制が採用され、第一次世界大戦前まではイギリスのポンドを中心とした金本位制が世界で採用されていました。
第一次世界大戦後に多くの国が金本位制を離脱し、管理通貨制度(国が紙幣とゴールドの交換を保証せずに通貨を発行する)に移行しましたが、米国だけは莫大な金の貯蔵を背景に金本位制を維持し続けました。
第二次世界大戦後は、金とドルの交換レートを1オンス=35ドルと定め、他の通貨とドルの為替変動幅を1%以内に抑える金・ドル本位制が如かれました。
しかし、他国の経済成長と自国の経済不振、ベトナム戦争による戦費の増大などで米国は紙幣とゴールドの交換レートを維持できなくなり、1973年に変動相場制に移行します。
金本位制においては通貨発行量が制限されるため、インフレになることはありません。反面、政府の裁量で金融政策を実行することができなくなるという欠点もあります。
お金が物々交換に勝る4つの点
先程物々交換の話が出てきましたが、お金は物々交換よりも様々な点で優れています。
必要なものを手に入れやすい
お金の一番優れているところは、必要なものを手に入れやすいことです。例えば、十分な金額のお金があれば、家電量販店に行ってテレビを買うことができます。しかし、お金がなければ、テレビを手に入れるためには、テレビを持っている人を探さなければなりません。
さらに、テレビを持っている人が欲しがっているものも手に入れなければなりません(そうしないと物々交換が成り立たないからです)。
これはとても面倒くさいですし、手間もかかります。お金を媒介にすることによって、欲しいものを手に入れるためのプロセスを大幅に簡略化できるのです。
簡単に持ち運べる
お金は小さくて軽いので簡単に持ち運べます。一方、物々交換では物によっては大きすぎて持ち運べないこともあります。
保存・刷新できる
お金はある程度の期間ならば保存してもほとんど劣化しません。仮に劣化したとしても、新しいものを印刷すれば済みます。しかし、ものの中には長期間保存できないものもあります。
例えば肉、魚、果物などの生物はすぐに腐ってしまいます。魚と何かを交換してくれる人を探しているうちに腐ってしまい価値がなくなった、といったような悲劇は、お金があればかんたんに回避できます。
交換レートが需要と供給によって変動する
お金がある世界では、必然的にいろいろなものに値段がつきます。卵1パック150円、ラーメン一杯700円、パソコン1台10万円、自動車1台200万円、と言った感じです。このように価格がつくと、もの同士の価値の比較ができるようになります。
例えば、パソコン1台10万円、自動車1台200万円の場合、自動車1台はパソコン1台の20倍の価値があるということになります。もし自動車の需要が減って150万円に、パソコンの需要が増えて15万円になったら、自動車1台の価値はパソコン1台の10倍になります。需要と供給に応じて比率が変動するので、最適な資源分配が達成しやすくなります。
日本銀行と日本国の関係性
日本銀行法第3条1項には、「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」という文章があります。
また、第5条第2項には、「日本銀行の業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない」という文章があります。要するに、国は日銀の通貨発行の自主性を尊重しなければならない、ということです。一体なぜでしょうか。
各国の歴史を見ると、中央銀行には金融緩和、つまり通貨発行量増加の圧力がかかりやすいことがわかります。
例えば最初に紙幣を発行したのはスウェーデンのカール10世(プファルツ朝初代国王、在位1654年~1660年)で、当時は中央銀行がなかったため民間銀行に紙幣を発行させていました。
しかし、戦費の増大を紙幣増刷で乗り切ろうとしたため、通貨流通量が増えすぎて通貨の価値が落ち、インフレが発生。銀行は数年で倒産してしまい、議会は国王の恣意的な支配から独立した中央銀行を設立します。
このように、政府(当時は国王が政府でした)に通貨発行権を全権委任すると、どうしても通貨発行量が増えてしまうのです。
適度な増加ならば問題ないのですが、通貨発行量が増えすぎてしまうと急激なインフレが発生し、通貨の価値が揺らいでしまいます。だから日本は法律で日本銀行の自主性を尊重するとしているのです。
急激なインフレはなぜ起こる?
急激なインフレ(ハイパーインフレ)は何度か発生しています。日本では幸い高度経済成長期から現在に至るまで、経済の根幹を揺るがすようなハイパーインフレは発生していませんが、1980年代以降もジンバブエ、アルゼンチン、ユーゴスラビアなど幾つかの国でハイパーインフレが発生しています。
ハイパーインフレの原因は経済政策の失敗、戦争による戦費の増大、治安の悪化など様々です。
ここではジンバブエを例に見てみましょう。元々この国は少数の白人が政治の実権を握っていたのですが、その後紛争を経て黒人政治家が多数派を占めるようになります。1980年にはジンバブエ共和国が誕生し、黒人のムガベ氏が大統領に就任します。
が、ここから大統領は
- 植民地自体に強奪された土地を強制的に黒人に無償で返還させる
- 外資系企業に無条件で株式の過半数を譲渡させる
- 市場に物資が不足した時は物資を持つものは必ず市場に出さないといけない
- 物資を絶対に安値で売らないといけない
というあまりにも無能過ぎる法案を次々打ち出します。当然、白人と外資系企業は撤退。物資不足が深刻化し、安値での販売を強制された企業は次々倒産。街中失業者まみれになり治安は悪化。
お金の流通量が増えすぎてハイパーインフレで経済は大混乱し、2008年7月にはインフレ率が2億3000万%に達しました。
その後、非公式ですが2009年1月にはインフレ率6.5×10108%を記録しています。このような環境下では、24.7時間、つまり約1日で物価は2倍になります。1週間暮せばそれだけで物価は27=128倍です。
100兆ジンバブエ・ドルが紙切れに
これに伴い額面の大きな紙幣が次々と誕生、最終的に100兆ジンバブエ・ドルが発行されますがそれでも物価上昇に追いつけず、12桁のデノミを敢行。2009年2月には外貨経済に以降し、米ドルと南アフリカランドでの決済を認めます。
2015年には正式に廃止通過となり、現在のジンバブエでは法定通貨として米ドル、南アフリカランドにユーロ、日本円、人民元などを加えた9通貨を採用しています。
かつて農業、工業、鉱業で栄えたことからアフリカの穀物庫と称されるほどの国だったジンバブエですが、今ではアフリカの中でもかなり貧しい国になってしまいました(2015年時点での一人あたりGDP早く1000ドルで、隣接する南アフリカやボツワナの6分の1程度)。
一時期は国庫金(政府の手持ちの資金)が217米ドルにまで落ち込み、国際社会の支援を要請する羽目になってしまいました。
紙や金属のお金が必要なくなる時代がやってくる?
我々は普段買い物をする際に紙や金属のお金を使って買物をしていますが、ではこの紙や金属のお金、詰まりは現金が一切必要なくなる時代は来るのでしょうか?
現代においても、すべての人が現金で決済をしているわけではありません。電子マネーによる決済は、当たり前のように行われています。
これが現金に取って代わることはあるのでしょうか?結論から言えば、今より電子マネーが一般的なものになることはあっても、現金自体が廃れること、あるいはほぼ見かけなくなるようなことは、しばらくなさそうです。
電子マネーは互換性が乏しい
まず、電子マネーの技術的欠点として、いろいろな規格があり互換性に乏しいことが挙げられます。発行運営会社が違う電子マネーをそのまま交換、あるいは相互決済することは基本的にはできません。
一部相互決済が可能な組み合わせもありますが、全て同一のレベルにすることはほぼ不可能でしょう。す
電子マネーはチャージの上限額が小さい
予めチャージできる金額がまだあまり多くないのも技術的な欠点です。電子マネーのチャージできる金額は種類によってまちまちですが、一般的な電子マネーの場合は5万円、交通系の場合は2万円が限度です。
また、全体の上限額とは別に、1回あたりのチャージ金額の上限も設定されていることが多いです。
例えば、nanacoのチャージの上限額は5万円ですが、1回あたりのチャージ金額は2万9000円と設定されています。フルチャージするには2回のチャージが必要になります。一体なぜこのようなシステムを採用しているかというと、領収書の印紙税を節約するためです。
かつては3万円以上の領収書を発行する場合、店舗は印紙税という税金を支払わなければならないという決まりがありました。それを抑えるために、2万9000円という中途半端な上限額が設定されていたのです(電子マネーによって1回あたりの上限金額は違います)。
その後印紙税の対象額は3万円から5万円に引き上げられましたが、電子マネーの1回あたりの上限金額には今のところ変動はないようです。
5万円までしかチャージできないできないということは、お財布の中に5万円までしか入れられないのとほぼ同義です。財布に5万円以上入れて持ち歩いている方はそれほど多くないかと思いますが、やはり上限額があるのは不便です。
最近は残高が一定以下になったばあい、自動的にクレジットカードを通じて一定金額が充填されるオートチャージを採用している電子マネーも少なくありませんが、こちらも上限金額が定められていることが多いです。
電子マネーの市場規模は意外と小さい
また、電子マネーの市場規模は、われわれの感覚ほど大きくありません。日本銀行が集計したところによれば、2015年時点での主要8社の電子マネーで決済された金額は約4兆6000億円です。主要8社以外は計算されていないのでなんとも言えませんが、おそらく合計市場規模は5兆円ぐらいでしょう。
5兆円と聞くとずいぶん大きいように思えますが、1ヶ月に直せば約4000億円程度です。それに対して、平均月間マネーストック(通貨供給量)は90兆円です。現代においてはまだまだ現金で決済をする人のほうが圧倒的に多いということです。
電子マネーのその他の問題
では、仮に国が本気で公認の電子マネーを開発、もしくは現存の電子マネーをすべて統一したらどうなるでしょう。この場合、当然ご完成についてはクリアできます。
規格が統一されればもっと使いやすくなるので市場規模も大きくなるでしょう。しかし、これはこれで別の問題が生じます。電子マネーは現金と違って、匿名性が維持できないのです。
電子マネーは通常、利用開始時に住所や氏名などを登録します。つまり、電子マネーで何を買ったかが外部に流出してしまう可能性があるのです。特に最近は携帯電話で使える電子マネー、通称おサイフケータイが人気ですが、携帯電話の本人確認はかなり厳格に行われるので、そこから個人情報が流出してしまう可能性がありです。
一方、現金には別に名前など書いていませんし登録も必要ありませんから、匿名性を維持したまま使うことができます。
もちろん、お金の使い方の匿名性が上がるのは悪いことばかりではありません。お金の流れが透明化されれば税収も増やせますし、違法薬物などの取締も容易になるでしょう。
しかし、やはりお金の使い方を個人情報と紐づけされるかもしれない、というのはやはり気分がいいものではありません。違法ではなくとも、アダルトグッズや風俗、育毛剤、美容整形、などにお金を使ったことはなるべくなら周囲に知られたくないものです。
お金の流れが透明化したばかりにこうした産業の需要が落ちるのは、望ましいこととはいえません。
電子マネーは偽造のリスクが高い
電子マネーは単なるデジタルデータです。解読するのはもちろん簡単ではありませんが、一度解読してしまえば紙のお金よりは比較的簡単に複製が作れてしまいます。
もちろん、実際には電子マネーにもコピー防止技術が採用されており、コピーは容易では無いのですが、世界有数の印刷技術が使われている現金よりはいくらか簡単に複製が作れます。
にも関わらず現時点で大規模な電子マネーの違法コピーが行われていない、もしくは明るみになっていないのは、偽造しても大した金額にはならないからです。
仮にどこかの国、例えば米国で完全電子マネー化が達成され、利用できる上限幅が大きくなったとしたら、米国人はもちろん、それ以外の人間も、技術と悪意があれば電子マネーの偽造に取り組むようになるでしょう。
仮に電子マネーの複製防止技術に致命的な欠陥が見つかった場合は、一時的に利用を停止することになるでしょう。そんなことになったら社会がどうなるかは容易に予想できます。
国防上のリスクなども考えると、国が自ら電子マネー参入の音頭を取るのは極めて難しいと言わざるをえないでしょう。したがって、電子マネーの需要は今よりは多少増えるかもしれないが、10年、20年とたっても完全な電子化には移行しないだろうというのがここでの結論です。
まとめ
- 1万円札に1万円の価値があるのは「みんながそう思っているから」
- お金は様々な点で物々交換に勝る
- お金を政府が自由に刷れるようになると、急激なインフレが起こりやすい
- 紙のお金がなくなる時代は、まだ当分来そうにない
長く生きていればお金に振り回されることもあるかと思いますが、それでもお金は物々交換に様々な点で勝ることは間違いありません。願わくば、お金に振り回されず、お金を利用するような賢い人間になりたいものですね。